歴史|圓應寺歴伝録 HISTORY&OMEN

歴史|その女性の名は光(みつ)Princess Mitu

戦国時代の軍師・官兵衛に生涯にわたり愛され続けた女性 光姫忌2020 2020年8月21日、世は新型コロナ渦中、世の中の安穏を祈り、照福院殿光姫さま394回忌の遠忌を執り行いました。 ダイジェスト 圓應寺開基 光姫さまの生涯 光姫さまは、天文22年、志方城主・櫛橋伊定の次女として生まれ15歳の時、おじにあたる小寺政織の養女となり、22歳の黒田官兵衛の正室とし…

歴史|頭山 満 翁 HISTORY

頭山満は国士無双といわれ、昭和の巨人とよばれた国家主義の第一人者。玄洋社の総帥として多くの思想の柱となりました。アジア各地の独立運動を支えたことでも知られています。1855年4月12日筑前国早良郡西新町の福岡藩士筒井亀策の三男として生まれました。小さい頃から優れた記憶力で、物事を語ることが鋭敏だったと言われており、11歳の時、 楠木正成のような人物になりたい…

歴史|黒田二十四騎について HISTORY

黒田官兵衛(如水)を語るに、黒田二十四騎の存在は欠かせません。黒田二十四騎とは、文禄元年(1592年)の侍大将(備頭)にて構成されており、特に功績を残した重臣達の総称です。圓應寺には、勇猛果敢を謳われた黒田二十四騎ほか生田昆陽之助や国学者二川相近、櫛橋左京之進の嫡子定重などその他多くの家臣が祀られています。 野口佐助一成 上月合戦の高倉山城の大手口で、一番槍…

歴史|福岡大空襲と圓應寺 HISTORY

福岡大空襲 1945年(昭和20年)6月19日に起きた福岡大空襲では、奈良屋校区に次いで多くの死傷者を出したのが圓應寺のある簀子校区でした。簀子校区では当時、1885戸のうち1700戸が焼失し、 176人が犠牲になったとされています。圓應寺も例外ではありませんでした。伽藍、本尊、寺宝は業火になめつくされ、墓石までもがその熱で粉砕されました。照福院殿光姫君と官…

歴史|東照権現と弁財天堂の空海・最澄 HISTORY

寺院内にある弁財天堂は、昭和20年の福岡大空襲において奇跡的に焼け残り、堂祠の中には、真言宗の開祖である弘法大師(空海)の作といわれる弁財天像と天台宗の開祖である 伝教大師(最澄)の彫刻とされる大黒天像の二体がご神体として祭祀されています。 神仏をお祀りする際、本来は三位一体(三尊)の場合が圧倒的に多いのですが当寺の寺宝は現在、二体が残されています。実はもと…

歴史|-薄命の美女-厚姫の奇しき話 HISTORY

厚姫(KOUHIME) 福岡藩六代藩主・継高公の息女・厚姫君は数奇な運命を辿られた姫君でもありました。厚姫は六代藩主黒田継高公の十四女で、母親は公家である鷲尾家の出身でした。厚姫は透き通るような白い肌の美しい姫君だったと伝えられています。 厚姫が12歳の時、縁談が持ち上がりました。相手の方は、公家の醍醐冬香卿でしたが、結納の準備も整いもう間もなくとなった頃、…

歴史|菩提寺が福岡に複数ある理由 HISTORY

圓應寺(円応寺)と崇福寺の建立 福岡市内には、黒田家菩提寺として圓應寺の他に崇福寺があります。その経緯として考えられるのは、当時筑前国主となった黒田長政が、帰依していた京都臨済宗大徳寺住職・春屋良杷禅師から、天正15年(1587年)の焼失以来、 廃寺状態にあった大宰府の臨済宗横岳山・祟福寺の再興を請われました。長政は春屋良杷禅師の請いに応え、1600年に大宰…

歴史|圓應寺と眞譽上人の縁 HISTORY

天蓮社眞譽上人見道大和尚 天蓮社真誉見道上人は播州赤穂の人、武門赤松氏の流れを伝える名家で黒田家とは同郷です。播磨黒田家菩提寺心光寺においては浄土の法門を講じた第二世住持でした。如水の実父(黒田職隆)の葬儀の際の引導導師でもありました。そして昔軍師・官兵衛如水の参謀の一人であったとも伝えられています。 1586年(天正15年)官兵衛如水が九州平定を開始する際…

歴史|如水と圓應寺物語 HISTORY

昭和通りに面した圓應寺は、そのむかしは北の海辺(博多湾)近くまでが寺の地所であったといわれるほどの広大な大寺で、いわゆる殿様寺として屈指の威容を誇る名刹として知られていましたが、 昭和二十年六月十九日の福岡大空襲で本堂をはじめとする伽藍や堂宇すべての諸堂が灰燼と化してしまいました。残されたものはわずかに、辯財天のお籠り堂と防空壕に避難させておいた過去帳だけだ…

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