筑前照福山顕光院圓應寺代々略傳①開山天蓮社眞譽上人見道大和尚の傳

眞譽上人 諱は見道 播州赤穂の人なり 初め播州の心光寺に居り 専ら浄土の法門を講し 能く羣黎を勧化するを以て千邦域に聲有り

照福院殿浩榮尼公は黒田如水軒孝高公の夫人 長政公の聖善なり (もと)より佛乗に深く帰し 浄土を信ず 長政公筑前に封せらるるに及て道を召して以て師と■ 太守の為に一梵刹を營み 道の為に屋を使しむ 母公■菩提所に擬す 土木就功なりて顕光山圓應寺と號す

道 平昔檀興の業を勤む 其諸州に於て開基する所の者凡て四箇寺 豊前中津の圓應寺 同州小倉の圓應寺 肥前唐津の教安寺 筑前福岡の円應寺是なり

如水公卒し夫人乃ち剃染す 道を以て傳法戒師と為す 崇奉(ますます)厚し

慶長十七年壬子九月廿四日福岡圓應寺に於いて寂を示す 閲世八十有二 寺内に墳墓を築き影像を安置す

光姫さまが照福院殿として出家された時

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