宏譽諱は太道長門之國の人なり 七歳にして本邦穴生弘善寺存道和尚に投しめ薙髪す 存道嫡弟 十八歳にして錫を武江に飛ばしめ 縁嶺定譽随波和尚に随従 浄土法灯を傳ふ 初めは遠賀郡穴生弘善寺に住持す 後に撰挙せられて當山に移住す
此代に當て太守忠之公照福院殿冥資の為に那珂郡住吉村百石の地を以て當寺に寄附し玉ふ
耳順に及て隠居す 念佛の功積り読誦の業蘭たり 遷化の年正二月道俗に向て預め説て曰く今年三月四日予将に遷化せんと欲す 今生の対面幾ず云云
道俗其説を怪む 終に其年三月四日卯の刻結跏趺坐正念往生 辞世の和歌二首之在
平尾山に荼毘す 享年八十有九 時延宝二甲寅年なり