歴史|-薄命の美女-厚姫の奇しき話 HISTORY

厚姫(KOUHIME)

福岡藩六代藩主・継高公の息女・厚姫君は数奇な運命を辿られた姫君でもありました。
厚姫は六代藩主黒田継高公の十四女で、母親は公家である鷲尾家の出身でした。厚姫は透き通るような白い肌の美しい姫君だったと伝えられています。 厚姫が12歳の時、縁談が持ち上がりました。相手の方は、公家の醍醐冬香卿でしたが、結納の準備も整いもう間もなくとなった頃、冬香卿のご病気が 思わしくないとの理由で、やむを得ず結納を辞退されました。そして間もなく、冬香卿は22歳の若さで亡くなりましたが、厚姫は江戸で亡くなる26歳までを 生涯独身で過ごしたといわれています。

激動の昭和の墓石の里帰り

その後、黒田家菩提寺である圓應寺に厚姫の墓石が建てられ、当寺でご供養をしておりましたが、戦後の混乱期、墓石泥棒により一時行方がわからなくなってしまいました。 厚姫の墓石は、ご覧のとおりの武家や公家のお墓に多い五輪塔でしたが、一般人の目には「石灯籠」と映ったようで、こちらを墓石と知らずに引き取られた方は、 実際にご自宅のお庭に配置していらしたそうです。すると不思議なことに墓石を配した家系にはご不幸が起こり、ことごとく途絶えてしまったそうで、何かの祟では? との噂がたち、それではお寺で預かってもらうのが一番とのお話となり、厚姫が亡くなられた200年目に偶然、圓應寺に戻ってこられたという不思議な経緯がございます。 現在では圓應寺にてご供養しております。(このお話は当時の西日本新聞や学研の月刊ムーにも掲載)

厚姫は阿津姫として神格化されました。

また、厚姫は光雲神社の摂末社堅盤神社にて黒田重隆公、職隆公、 忠之公とともに祭神四柱の一人として祀られています。なぜ厚姫が神格化されたのか。まだまだ厚姫には明らかになっていないエピソードが隠されているようです。


厚姫の墓石に刻まれた文字「栴檀香風」とは、法華経の序品にあることばで、文殊菩薩が「栴檀香風、悦可衆心」(よき教えは、栴檀のような香しい風となり、 多くの人々の こころを楽しませる)と読んだ詩にちなみます。 謎の多い厚姫ですが、神格化された理由の一つには香風をまとった、美しき風貌と多くの人々から愛された背景もあったのでは ないでしょうか。

副住職の見解を福岡市博物館の学芸員の方にお話ししたところ、非常に可能性が高いと言っていただいたその説は、黒田七代藩主は一橋家からの養子であるところを踏まえ、官兵衛公直系の最後の血筋であるという意味合いで神格化したのではという説です。

圓應寺では毎年「光姫忌」の際、8月16日ご命日の厚姫のご供養もいたします。皆様も数奇な運命を辿られた姫君に会いにいらっしゃってはいかがでしょうか。


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