歴史|東照権現と弁財天堂の空海・最澄 HISTORY

寺院内にある弁財天堂は、昭和20年の福岡大空襲において奇跡的に焼け残り、堂祠の中には、真言宗の開祖である弘法大師(空海)の作といわれる弁財天像と天台宗の開祖である 伝教大師(最澄)の彫刻とされる大黒天像の二体がご神体として祭祀されています。

神仏をお祀りする際、本来は三位一体(三尊)の場合が圧倒的に多いのですが当寺の寺宝は現在、二体が残されています。
実はもともと、三位一体であったようです。福岡藩二代藩主黒田忠之公が荒戸山に筑前東照宮を建立するまでのひと月の間、圓應寺に徳川幕府開祖の家康公・東照神君ご神体をお預かりしたのです。
ご神体を下賜され、お堂を建て奉り、中央に配し、弁財天・大黒天が左右にそれぞれ並んでこれを守る形をとっていたのが始まりのようです。

東照宮が建立し奉納された後、その堂祠には、東照大権現五字掛物を東照神君ご神体として下賜され、同様に三位一体となるべく弁財天・大黒天を左右配し寺の鎮守としてこれを祀りました。
このご神体を書いたのは徳川家康公、二代将軍秀忠公、三代将軍家光公に仕え、各将軍の家庭教師・政治顧問・相談役・黒衣の宰相と言われたあの慈眼大師天海大僧正でした。
これは黒田家と徳川宗家との深いつながりを物語っていると同時に天台、真言の仏教界の二大勢力を徳川が抑えているという図式を表していました。

江戸期の圓應寺はその関係もあり、安国殿であります徳川家康公のご命日である4月17日には、境内を解放して領民たちと盛大なる「縁日」のお祭りを催していたそうです。

しかし明治に入り、倒幕と廃仏毀釈の波で東照神君への信仰は稀薄となり、現在では弁財天堂として残った弁財天と大黒天を黒田一族の妻たちがそうしてきたように大切に祭祀しています。

空海作弁財天、最澄作大黒天は年一回七月七日の弁財天大祭にてご開帳をいたしております。

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