歴史|その女性の名は光(みつ)Princess Mitu 戦国時代の軍師・官兵衛に生涯にわたり愛され続けた女性 圓應寺開基 光姫さまの生涯 光姫さまは、天文22年、志方城主・櫛橋伊定の次女として生まれ永禄15歳の時、おじにあたる小寺政織の養女となり、22歳の黒田官兵衛の正室として姫路城にはいりまし... 2023.03.02
歴史|圓應寺と眞譽上人の縁 HISTORY 天蓮社眞譽上人見道大和尚 天蓮社真誉見道上人は播州赤穂の人、武門赤松氏の流れを伝える名家で黒田家とは同郷です。播磨黒田家菩提寺心光寺においては浄土の法門を講じた第二世住持でした。如水の実父(黒田職隆)の葬儀の際の引導導師でもありました。そし... 2023.03.02
歴史|-薄命の美女-厚姫の奇しき話 HISTORY 厚姫(KOUHIME) 福岡藩六代藩主・継高公の息女・厚姫君は数奇な運命を辿られた姫君でもありました。厚姫は六代藩主黒田継高公の十四女で、母親は公家である鷲尾家の出身でした。厚姫は透き通るような白い肌の美しい姫君だったと伝えられています。 ... 2021.09.01
歴史|福岡大空襲と圓應寺 HISTORY 福岡大空襲 1945年(昭和20年)6月19日に起きた福岡大空襲では、奈良屋校区に次いで多くの死傷者を出したのが圓應寺のある簀子校区でした。簀子校区では当時、1885戸のうち1700戸が焼失し、 176人が犠牲になったとされています。圓應寺... 2021.01.09
歴史|東照権現と弁財天堂の空海・最澄 HISTORY 今回の圓應寺副住職三木英信が紹介する圓應寺歴伝録は7/7弁財天大祭を前に【東照権現と弁財天堂の空海・最澄】をご紹介致しております。福岡圓應寺(円応寺)公式サイト『圓應寺の世界 副住職のススメ』より。 2021.01.09