圓應寺とは|沿革History

1602年4月
(慶長7年)4月、福岡藩の始祖黒田如水(黒田官兵衛孝高)公の夫人、照福院殿(光姫)君が初めて寺院を開基し、黒田如水の本尊阿弥陀如来像(快慶作)寄進を受け、天蓮社眞譽上人見道大和尚を呼び寄せ開山。黒田家の菩提寺とした。1626年12月7日
(寛永3年)福岡藩二代藩主忠之公より那珂郡吉村国中社領百石を寄進。


1627年8月26日
(寛永4年)照福院殿は福岡城にて亡くなり、圓應寺第三世延蓮社専譽上人?公和尚が導師をつとめ荼毘を安置し祀る。法名は「照福院殿然譽浩栄大尼公」。山号を「照福山」に改号する。明治時代には廃仏毀釈運動の煽りを受けて荒廃。1942年9月
(昭和17年)玄洋社頭山満より大前机寄進


1945年6月19日
(昭和20年)福岡大空襲において全焼。伽藍脇に祀られていた如水公と照福院殿の墓は戦火に遭い崩れ落ち礫と化す。奇跡的に弁財天堂が焼け残る。


1979年
(昭和54年)現在の本堂、納骨堂等の伽藍の建立。


1980年
(昭和55年)照福院殿供養塔が建立された。
寺内の墓地は富禄武家の墓が多く、さらには国士無双といわれた玄洋社頭山満翁の墓もある。

1985年
(昭和60年)戦後消失していた福岡藩六代藩主・継高公息女厚姫(阿津姫)の墓石が民家より戻ってくる。

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