お地蔵さまは「生命育む大地の宝」
地蔵菩薩の「地」はすべての生命を育む大地「蔵」は宝の詰まった蔵。
サンスクリット語でクシティ(大地)・ガルバ(胎内)。
つまり、大地のように広く大きな慈悲で人々を包み込んでお救いくださる菩薩さまとされています。
お地蔵様のお姿
頭を丸めた修行僧の姿で、釈迦と同様に簡素な衣を着けますが、菩薩であることより首飾り・瓔珞などで荘厳されることもあります。
錫杖と宝珠を持っている姿が一般的です。 延命地蔵は半跏像、あるいは片脚踏み上げの姿勢をとります。
圓應寺の地蔵菩薩は立像と坐像の両方があります。
ピンチヒッターの仏さま
お釈迦さまがご入滅されたあと、次の仏さまである弥勒菩薩が現世に出現し、悟りを開いて人々を救うまでの56億7000万年の間は、実はこの世には仏がいない「無仏の世界」状態です。
その間、命あるものすべてを救済するのが地蔵菩薩です。
そのため「人々を導いてくださる存在」として大切にお祀りされているものがとても多い仏さまです。
六道に赴きます
しかしそれまでの長い間、人間は六道を輪廻しながら、苦しまなければなりません。
六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道のことです。
地獄道はその名の通り罪を犯した人の落ちる地獄のこと。
餓鬼道は思いやりのない生き方をした人間が行く場所で、食べようとしたものはすべて炎に変わるため、飢えと渇きに苦しまねばなりません。
畜生道は牛馬と同じ扱いを受ける場所。
修羅道に行った人はいつも怒っており、争いが絶えません。
人間道は私たちが今生きているこの世界のこと。
天道は天人が住む場所で苦しみはないですが、いつか死がやってきて、六道のどこかに転生せねばならない世界。
地蔵菩薩は閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では平安時代以降、地獄を恐れる風潮が強まり、地蔵菩薩への信仰が庶民にも広がりました。
六地蔵
六地蔵というのは、諸説ありますが、地蔵菩薩が六道に行くために姿を変えたものです。六地蔵の「六」は、六道の「六」なのです。
地蔵の分身は常に六道の衢(ちまた)にあって、終日衆生と交わり、仏縁のない衆生でも救済する仏だけに、寺院の本堂の奥に座すること少なく、野仏として人々の目に触れることが多い仏でもあります。
村のはずれに立つ地蔵が六体あることが多いのも、お地蔵様が六道を巡りながら人々の身代わりとなって苦しみを背負ってくださるという信仰からです。
お墓で
墓地にはよく6体の地蔵が祀られています。仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守っているのです。
圓應寺のお地蔵さまは、地蔵堂には現在13体がおわします。
中には、享保18年のお地蔵さまがいらっしゃり、おそらく享保17年あたりから起こった享保の大飢饉の際、お亡くなりになった方々への追善供養のためか、こうした飢饉が起こることがないようにとの切なるご祈願のために造立したものでしょう。
その時代、圓應寺のすぐ近くは福岡藩の米蔵である永倉がありました。
そこで炊き出しをした享保の大飢饉。
いろんなその時代の苦を人々とともに背負っていらっしゃったのでしょう。
お墓以外でも地蔵菩薩の像は多く見られます。いろんなお姿で衆生をお助けしますので、人々の信仰によりさまざまな姿と呼称があります。
災厄の身代わりになってくれる「身代わり地蔵」、水子を供養する「水子地蔵」、ユーモラスなものだと、お蕎麦を備えると願いがかなう「蕎麦喰い地蔵」なども存在しています。
また、昔話の「笠地蔵」など、同じ六道を救済する菩薩でも観音菩薩さまよりも、日本人にとってはより身近で、親しみやすい印象があります。
ご利益も、無病息災、五穀豊穣、交通安全、水子祈願、安産、子授け、子供守護、先祖菩提、戦勝祈願など様々なご利益があります。
初地蔵は一月二十四日
地蔵盆は八月二十四日です。
お唱えいたしましょう
①地蔵歎偈
南無地蔵願王尊 釈迦文佛遺付属 出現悪世入禅定
地獄無間代受苦 餓鬼飢渇皆飽満 畜生皮毛速解脱
修羅調伏我慢幢 人間済度生死海 天上遠離五衰難
一称一禮勝功徳 今世後世大安楽
②ご宝号
オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ
③南無地蔵願王尊(三唱)