地蔵菩薩については下記ページでご紹介しましたが、当寺が1602年建立以来、行き倒れになった方をはじめとして、さまざまな事情でお亡くなりになった有縁・無縁の方々、近年では永代供養を志す御霊の御遺骨を埋葬し、お祀りする無縁仏地蔵尊三界萬霊塔があります。
三界萬霊とは
三界とは、欲界・色界・無色界をいい、萬霊というのは欲・色・無色界のそれぞれの有情無情の諸精霊などが住んでいるあらゆる世界をさしています。
それらを供養するための塔が三界萬霊塔なのです。
戦災死者供養塔から荼毘を移す
簀子小学校と隣接する圓應寺境内の赤レンガ塀の脇に、福岡大空襲の際にお亡くなりになった方の中で、引き取り手がなかったご遺体を埋葬しました。
その二年後、昭和22年6月19日にその場所に建立されたのが「戦災死者供養塔」でした。ここからこの戦災死者供養塔のみもとで福岡大空襲慰霊祭が始まりました。
当初は、簀子地区の徳栄寺、浄念寺、正法寺、法傳寺と圓應寺の五カ寺でお祀りをしていました。
その後、区画整備のため、この赤レンガ塀から新設予定の道路までの圓應寺境内地が簀子公園となることに決まりました。
昭和31年簀子公園の開放が始まり、同時進行で公園整備は続きます。開設の手続き終了が35年だという記録から考えますと、30年代前半に「戦災死者供養塔」が一時圓應寺に移設されたようです。その際、葬られていた遺骨はこの地蔵尊に納骨したそうです。
昭和50年代になって「戦災死者供養塔」だけは元あった戦争遺跡である赤レンガ塀のそばの敷地に戻すことになりました。現在は赤レンガ塀は誠に遺憾ながら解体され、一部しかありませんが、慰霊塔はそこにあります。
そして、無縁仏地蔵尊三界萬霊塔の中には今も、江戸時代からの有縁無縁の精霊や戦災死者の御遺骨がお祀りされています。
材質と状態
江戸期に作られたであろうこの石仏は、現代のように道具も豊富でないため、加工がしやすいように少し風化を始めた柔らかめの花こう岩(油山産)を使っています。
剥がれ落ちやすいデリケートな石材でできている地蔵尊のその表情は時に優しく、時に厳格に何かを語り掛けてきます。
平和への祈り
戦災死者の慰霊として、六月中旬や八月中旬にお参りいただき、手を合わせて犠牲者の供養と平和への祈りを捧げてくださる方が毎年みられます。
これからどんな世の中がきても、無縁仏地蔵尊三界萬霊塔の前に立ち、忘れてはならないこの大切な出来事、思いをかみしめ、後世に伝えていかねばなりません。