【お施餓鬼・お盆特別編】地獄極楽絵図5~8

圓應寺では、8月1日から15日まで本堂に地獄極楽絵図の軸16巻を掛け奉って、ご参詣者の皆さまにはご拝観できるようにいたしております。

施餓鬼会大法要・盂蘭盆会・棚経法会
圓應寺三木英信副住職がご説明いたしますお盆の時期の大法要、施餓鬼会は餓鬼だけでなく、新亡の霊や先祖代々の諸霊を供養するとともに、広く一切の無縁の諸精霊を供養し、あわせて日頃の自分自身に巣くう「餓鬼」の心を反省し、福徳延寿を願います。

この地獄極楽絵図には、臨終を迎えて、十王に裁かれどの世界に生まれ変わるかの六道輪廻の様子や地獄、極楽の世界が描かれています。

巻1~4はコチラ

地獄極楽絵図巻五

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二七日には、初江王(仏としては釈迦如来)の裁きがあります中腹には、針山地獄が描かれています。

右上には鬼を投げ飛ばす豪傑がいます。

私たちが七日七日に死者の冥福を祈るのは、善い人に生まれ変わることができるようにするためでもあります。

その祈りが届いた時に図の左上の天上から羽衣が投げられているところです。

こうして救いの道が開かれるのです。

地獄極楽絵図巻六

三七日の裁きは宋帝王(仏では文殊菩薩にあてはまる)です。

鬼たちは、死人をズタズタに引き裂いています。

図の下には、血の池地獄が広がっています。

上の山は「死出の山」といわれていて、約800里の遠い道のりです。

とても険しく登るのも容易ではありません。

しかし追い立てる鬼たちに泣く泣く山を越えることになります。
よく見ると、火の車に乗せられ、地獄を引き回される亡者もいます。

地獄極楽絵図巻七

熱湯の川をやっとの思いで渡ると、四七日の五官王である普賢菩薩の裁きが待っています。

五官というのは,眼・耳・鼻・舌・身の五つのことです。

人の五官が元となる悪業や罪を王は審理します。
 生前の言動については,とくに厳しい詮議をし,例えば
「相手を傷つける様なことばを使わなかったか,うそをついたことはないか。」尋問します。

嘘をついたら、首に枷をはめられ、針の筵に座らされ、舌を抜かれたり、ぶつ切りにされたりしています。

五官王の背後には 冥土に住む猫がいて,傍に人骨が散らばっています。ここではネズミを食べるのではなく亡者を食べているのです。

図の上方では、他人の親切に感謝せず、素直にありがたいと思わない者は竜の口に閉じ込められます。

地獄極楽絵図巻八

五七日には、地獄の大王である閻魔大王地蔵菩薩)の大法廷で裁かれることになります。
閻魔大王が良き行いや悪しき行いが書いてある閻魔帳を読み上げると、死人は「私はそんな悪いことはしていません。」と、ごまかそうとします。
しかし、閻魔大王の持つ浄玻璃鏡という鏡には生前の行いがすべて写し出されるので、噓をついてもすぐにわかってしまいます。

閻魔大王は破れ鐘のような大声で
「お前は娑婆にいた時、老人をみなかったか。頭は白く、歯はぬけ、眼はくぼみ、肌はシワより、身体はふるえ、気力は衰え、うめきつつ、杖にすがって歩む者、これこそ第一の天使じゃ」

「次にお前は娑婆にいた時、病人を見たことはなかったか。身体はやせ細って衰え、傷みが走り、立つことも自由にならず、飲食やトイレにさえ人の助けを待ち、一日中寝たきりでうめき苦しむ者、これこそ第二の天使じゃ」

「最後にお前は死人を見なかったか。命終って最後の息がながく絶えたならば、身体は崩れて枯木のようになり、塚の間に捨てられて鳥や獣に食われ、棺に納められて火葬場から立ち上る一条の煙となり、一つまみの白骨が残る。この者こそ第三の天使じゃ」

「このようにお前は娑婆に於て、三天使に会いながら仏教を聞かず、今地獄へ堕ちて苦しみを受けるのは、父母両親の過ちでもなく、兄弟の為でもない。まさしくお前自身の自業自得であるぞ」

と怒鳴りつけるのです。

大王の両脇には杖状の檀の上の蓮華に中国風の髪形をした憤怒の男と柔和な女の頭が並んで載っています。
「見る目」「嗅ぐ鼻」と呼ばれる善と悪の二つの顔で、人頭杖と呼ばれます。
閻魔王が亡者の生前の行為の「善行と悪業の程度や両者のどちらが多いか」などを総合的に判断する際のよりどころの一つです。
閻魔王が亡者を審判するとき、重罪であれば憤怒の男相の口が火を噴き、善行が勝れば柔和な女相から芳香が漂うとされます。

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