人間関係を無視することは、誰であっても絶対にできることではありません。なぜ人間関係がスムーズにいかないのか見てみましょう。
仏教に「業界(ごうかい)」という言葉があります。(ぎょうかい)と読まずに、(ごうかい)と読みます。
業界とは、私たちの業(ごう)によって生み出された世界のことです。「業」とは、インドの言葉で「カルマ」といい、「行為」のことです。
一人一人、今まで【見てきたもの】【聞いてきたもの】【話してきたこと】そして何より【考えてきたこと】は、みな違います。それら「業(行為)」が各人各別だから、
同じものを見ても、同じには映りません。「ライフスタイル」とは自己概念と言いかえられますね。
一水四見(いっすいしけん)
認識の主体が変われば認識の対象も変化することの例え。
人間にとっての河(=水)は
天人にとっては歩くことができる水晶の床
魚にとっては己の住みか
餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ
というように、見る者によって全く違ったものとして現れます。
「手を打てば、鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」
よく「全然私の気持ちを分かってくれない」と文句を言う方がたまにいます。仮に周りにたくさんの人がいても、もし私をわかってくれる人がいなければ「こんなにたくさんの人がいるのに、どうしてみんなわかってくれないの?」逆に孤独感が増してしまうでしょう。
私たちは「承認欲求」が強いですね。人間を意味する「パーソン(person)」の語源は、ラテン語の「ペルソナ」といわれています。ペルソナは「仮面」という意味です。
素顔の自分をさらして、弱い自分をさらけ出して、それでもなお受け入れてくれる人がいたならば、それ以上の幸せ、嬉しさはないですね。
わかり合えないを前提とする
「わかり合えない」と知ることは、自我を押し付けず、お互いを認め合うことにつながります。
自分の思いが相手に通じたならばその嬉しさは倍増しますし、相手が自分の思いに共感してくれた、歩み寄ってくれたことへの感謝も生まれるのですね。
それぞれが「わかり合えない」と思えれば、お互いを尊重し歩み寄って、良好な人間関係が構築されていくでしょう。
コミュニティに加わりたいけど うまく溶け込めないということやお友達がほしいのならば、
ご近所づきあいって ひょんなことから近くなったりもするし、子どもがいるなら また違ってくるでしょうけど
何が目的で ご近所づきあいしたいのか によって 変わって参りますが・・・。
例えば町内会の行事に参加するとか、公民館のサークル活動に加わる とか 、そこから 広がるネットワークもあるでしょうし 。
ただ 話しかけてくれるのを待っているだけでは 距離は縮まらないですよね。
でも、 無理してコミュニケーションとろうとして、無理して自分を取り繕うコミュニケーションは とてもストレスになる から それはやめたほうがいいですね。
共同作業から人は仲良くなること 多々あるので、清掃活動とか そういったものに 積極的に加われたらいいですね。
わりと「主婦」は働いていた時より世界が狭くなって、 目線が家族や身の回りのことだけになりがちですから、自分が 夢中になる 何かがあれば、近所づきあいで悩む 時間がなくなるというか 思考が他に向くことで解決できたりするのではないでしょうか。
小さなできることからやってみてくださいね。