【自死】
罪としてはキリスト教では大罪として、世間では善悪で論じられます。
私たちのいわゆる道徳的観点によるものです。
仏教ではどんな「死に際」「死に方」といったことには「良い」「悪い」は説いてません。 しかし、だからといって仏教で自死を勧めることはありません。
もしあなたがお釈迦さまに自殺の相談をすれば、お釈迦さまはもちろん自殺を止められます。
私たちはあらゆる手だてをもって、自死に至らないように努め、周囲もサポートしなければいけません。
お釈迦さまは人は生者も死者も平等と説いています。
どのような死に方をしようとも、仏様は善悪を問わないということです。
【天上天下唯我独尊】命の尊さ
自分という存在は誰にも変わることのできない人間として、生まれており、この命のまま尊い。と言いかえられます。
人間の命の尊さは、能力、学歴、地位、名誉、財産などの有無を超えて、そのままで尊い『自分』を見だすことの大切さを教えている言葉なのです。
世の中は、何事にも優劣をつけ他人と比較して優越感に浸ったり、劣等感に陥ってしまいがちです。
しかし、この世に「唯一無二」のかけがえのない自分という存在がオンリ-ワンだということに目覚めれば、他人と比較して傷つく必要など全くないものであると同時に、他人より優れたものがあったからといって、おごり高ぶるものではない、ということに気づくはずです。
人の価値は、他人との優劣で比較して、おごったり落胆することはありません。人はそれぞれ他にない持ち味を生かし自分らしく生きていくことが大切なのです。
様々な人生の壁にぶち当って、心が折れそうになったときには、この教えが生きる勇気を与えてくれるでしょう。
人って「依存」せねば生きていけないそうです。 「依存症」はダメだけど、迷惑を掛けなきゃ生きられない仕組みだそうです。
自分一人で生きてはいけません 「生かされている」のですもの。後ろめたさや辛さより感謝することが大事ですね。
迷惑を掛けられた時には笑顔で「おたがいさま」の優しさを意識しましょう。
【自業自得】
自分の行為が今の自分の世界を作っているということです。
であれば、これから先の余生の自業を積んで精いっぱいご自分を大切にして豊かに生きるべきです。良い種を蒔いて 実を結びましょう。
将来にわたって幸福であり続けるためには、日ごろから良い思いをもって生きていくことが大切だということです。
もしも、この状態に慢心して邪念や我欲に執着したりすると、やがて不幸に見舞われてしまうということです。
人間は、我欲、我執のがんじがらめになっている一面があります。自己中心的な発想で捉える限り、誤った判断、誤った行為を行ってしまいます。
また、現在不幸な状態にあえいでいたとしても、日々良い思いをもって生きていれば必ず幸福が訪れるときがやってくる、ということです。
幸せってどういうことなのだろうと考えたときに、私は「自分らしく、その人らしくいられること」なのではないかと思います。
人生の終盤をどのように過ごすかは、人間にとってとても大切なことです。ぜひ、世間やほかの人の価値観ではなく、ご自身が今までに培ってきた考え方を生かして豊かに過ごしてくださると嬉しく思います。