圓應寺では、8月1日から15日まで本堂に地獄極楽絵図の軸16巻を掛け奉って、ご参詣者の皆さまにはご拝観できるようにいたしております。
この地獄極楽絵図には、臨終を迎えて、十王に裁かれどの世界に生まれ変わるかの六道輪廻の様子や地獄、極楽の世界が描かれています。
巻1~4はコチラ
巻5~8はコチラ
巻9~12はコチラ
地獄極楽絵図巻十三
三回忌です。十王の最後の方は五道輪転王です。仏さまでは阿弥陀如来さまにあたります。
観音さまに亡者たちを引き渡しています。極楽に引接するのでしょう。亡者の姿も白衣を纏っています。
周りでは地獄の鬼たちが責め道具や柱を片付けてすごすごと去って行ってます。深々と頭を下げる鬼も見受けられます。
人がいる限り悪はなくならないでしょうが、一人一人が努力をして、地獄がなくなるようにとの願いが込められています。
中ほどの図には、達磨大師がみられます。
地獄極楽絵図巻十四
巻十四・巻十五・巻十六には極楽の様子が描かれています。
極楽に生けるものたちは一切の「苦」を受けることは無く、さまざまな「楽」のみを享受するといいます。
その国の人々は、何の苦しみもなく、ただいろいろな楽しみだけを受けているから、極楽というそうです。
図の右側の羽の生えた天人は迦陵頻伽のようです。
その国には色とりどりの珍しい色の白鳥、孔雀、鸚鵡、百舌鳥、迦陵頻伽(妙音鳥)、共命之鳥(命々鳥)などの鳥たちがおり、これらの鳥は昼夜六回それぞれ優雅に美しい声でさえずっています。
その鳴き声はそのまま五根五力・七菩提分・八聖道分などの尊い教えを説き述べているそうです。
そこでその国の人々は誰もが、この鳥の鳴き声を聞いては、仏を念じ、法を念じ、僧を念じ始めるのです。
巻十四で観ていただきたいのは、聖獣の麒麟が聖者を導いています。
中国の歴史書『史記』では、王が仁(徳の一つ)のある治世を行い、穏やかな世になったとき、その王のところに現れる霊獣が麒麟なのだそうです。
今のわたしたちは、昭和、平成、令和と大きな時代の転換期にいて、次々と天災や新型コロナウイルスに脅かされていてまさに、生きにくさを感じ、100年後の未来など到底見えません。
閉塞した世の中に麒麟が来てほしいと願うことは、現代に生きる私たちにとっても切なる願いといえるでしょう。
地獄極楽絵図巻十五
極楽には奇麗な金・銀・瑠璃・水晶の四つの宝石で作られた七重にかこむ玉垣と七重におおう宝の網飾りと七重につらなる並木があります。
すべてが美しく輝き、きれいな音楽が流れ、香るもの、味わうものがすべて素晴らしく、よろこびに満たされます。
左上の方には楽器が羽衣を纏い、美しい音を自動演奏しています。
その国土では昼も夜も常に美しい天の音楽が奏でられ、その音色を聞くものは、だれでもおのずから仏を念じ、法を念じ、僧を念じる心を起すのだそうです。
楽器の真下ほどでは、禅定印を組んで如来さまが思いを静め精神を集中し、心を明らかにして三昧に入り、寂静の心境で真正の理を悟り、座していらっしゃいます。
極楽に往き生まれた亡者たちは、仏となるための修行をおこない、仏格をあげてゆきます。
極楽に生まれた人々はみな覚りを求める強い意思を持ち、必ず仏に成ることが決定しています。
図の中の亡者も後光が射してきています。
地獄極楽絵図巻十六
極楽浄土の七つの宝でできた池には八つの功徳のある不可思議な力を持った水がなみなみと充満しています。
池の底は一面に黄金の砂で覆われています。また池の四方には金・銀・瑠璃・水晶でできた階段があるそうです。
そして池の中には車輪のような大きな蓮華が咲き輝いて、青蓮華は青い光を、黄蓮華は黄色い光を、赤蓮華は赤い光を、白蓮華は白い光を放ち、いずれも美しく、ほのかに気高く清らかな香を漂わせています。
岸の上には楼閣があって、それもまた金・銀・瑠璃・水晶・硨磲・赤真珠・瑪碯で美しく飾られています。
そして大地は黄金で、昼夜六時のそれぞれにきれいな曼陀羅華の花が降りそそぐそうです。
図の上では、極楽浄土には、阿弥陀さまの説法を聴こうと、たくさんの仏さま菩薩さまがお見えになっています。阿弥陀さまの左右にいらっしゃる観音さま・勢至さまは有名ですが、他にも、私たちがよく知っている方々がいらっしゃいます。それがこの絵の普賢さま・文殊さまです。
文殊さまは「三人寄れば文殊の知恵」でお馴染みですが、いつもはお釈迦さまのそばにいらっしゃる菩薩さまです。
普賢さまは六本牙の白象に乗って、また文殊さまは獅子に乗って阿弥陀さまのお説法を聴きに来られています。
これは、「すべての人を救いたい」という阿弥陀さまの願いを、お釈迦さまがこの世でお説き広め下さっている事を意味します。
阿弥陀さまとお釈迦さまが力を合わせて、生きとし生けるもの全てが極楽浄土に生まれるよう、おはからい下さっているのです。
図の下方の極楽の玄関あたりでは、鬼が亡者と問答をしています。「ここはお前の来るところではない」とか、「極楽の手形をみせよ」とか。