Terapedeia 仏教お寺豆知識

道楽 ~暮らしの仏教用語~

一般に「道楽」という言葉は、ずいぶん旗色が悪いイメージの言葉になっています。「道楽息子」とか「道楽者」という言葉を耳にすると、ドキッとします。本職を忘れ、仕事もろくにしないで,何かに没頭して,一日の大半をそれに費やすことを意味 します。

何の道を楽しむかは,本人の自由なのですが,本人がいくら楽しいといっても,家族や友人たちからみれば困った状況です。

真面目に職業に励む者と道楽とはまるで正反対の関係にあります。このように悪い意味にとられる道楽という語がどのように仏教と関わるのでしょう。

実は道楽という語は、もともと仏道を求める「悟りの楽しさ」を表わした意味です。そして仏教では「ドウギョウ」と読みます。

楽は願と同義で、仏道を楽(ねが)うのが道楽の原意でした。この「道楽(どうぎょう)」の意味が転じて、『法華経』に「道を以て楽を受く」と説くように、道を修めて得られる「楽しみ」「悦び」を表すようになります。

結果、仏典に「今、已に道楽を得る」と説いているように、もと仏の道を求めることを意味した道楽が、道を修めて得られる結果の法悦を表すようになりました。

つまり道楽は世俗の快楽と異なるのです。両者を混同しないように「楽に二種あり。俗楽と道楽となり」と仏典は説きます。

刹那の俗楽に耽ることなく、迷妄を脱して確かな道楽を求めなくてはなりません。ですが仏道を求める「道楽(どうぎょう)」の心も、また道を修めて「道楽(どうらく)」を得る力もない私たち凡夫は、ただ卑近な俗楽をもって「道楽をする」しかないのかもしれませんね。

これから先の寺院

50年後には、神社・仏閣は70%がなくなる。

神仏習合の形態を仏教伝来より明治維新までの1200年取っていた。

江戸200年は檀家制度があり、

神仏分離、国家神道から

敗戦後GHQの影響なども受けながら75年

今に至ります。

現代世相と現代人の生活

少子高齢化、AI化、これから求められるもの

今お寺が忘れてしまった「大事なこと」を欲しがっているような気がします。

信仰を大事にしている人、そうでない人

何を求めているのだろう

何を信仰しようとするのだろう

とても面白いとおもいます。

文化施設である側面を忘れてはならない。

また修行の場である厳格な面も「いい面」である。

身近な方を亡くされたとき、

「精いっぱい」の供養をする。話下手でも遺された方々をケアする。

一生懸命にただひたすら。そうしたら伝わる。

どんなに言われようが、言われまいが三木英信を全開することが善業を積むということ。

 

 

 

 

 

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